包む、という文化
「風呂敷に代表されるように、包むというのは日本独特の文化である」という言葉を耳にしたことがありますが、実はこれはあまり正確ではありません。包むという文化はアジアを中心として世界各地にあり、中国には包袱(パオフー)、トルコやパキスタンにはボーチャ、韓国にはポジャギ、そして日本には風呂敷として今も残っています。
 文化的な原点を中国に持つ日本と韓国で、包むという文化が同じように受け継がれ、そしてそれぞれの風土の中で風呂敷とポジャギは独自の発展を遂げてきました。風呂敷は基本的に一枚の布。ポジャギはパッチワーク手法を取り入れた何枚かの布の組み合わせ、と形を変えてきた部分はありますが、使い方はもちろん図表・文様に至るまで今なお多くの共通点を見ることができます。
文化的な原点を中国に持つ日本と韓国で、包むという文化が同じように受け継がれ、そしてそれぞれの風土の中で風呂敷とポジャギは独自の発展を遂げてきました。風呂敷は基本的に一枚の布。ポジャギはパッチワーク手法を取り入れた何枚かの布の組み合わせ、と形を変えてきた部分はありますが、使い方はもちろん図表・文様に至るまで今なお多くの共通点を見ることができます。
※写真は1800年代に作られたチョガッポ。ソウル、韓国刺繍博物館所蔵
        :許可を頂いて撮影したもの。

 一方、日本で「風呂敷」という言葉は17世紀に入ってから使われていますが、正倉院御物の中にすでに風呂敷と思われる包み布が奉納されているそうです。また、江戸時代に書かれた貝原益軒の「養生訓」に、「慎むとは包むなり」と記されており、包むという行為が慎みの気持ちの表現であるとされています。つまり、神仏に捧げるときに白紙に包むのは、捧げさせていただくという慎みの意味が込められているわけです。
一方、日本で「風呂敷」という言葉は17世紀に入ってから使われていますが、正倉院御物の中にすでに風呂敷と思われる包み布が奉納されているそうです。また、江戸時代に書かれた貝原益軒の「養生訓」に、「慎むとは包むなり」と記されており、包むという行為が慎みの気持ちの表現であるとされています。つまり、神仏に捧げるときに白紙に包むのは、捧げさせていただくという慎みの意味が込められているわけです。 一般的にポジャギとは「韓国のパッチワーク」と表現されることが多いですが実際には多くの技法や地域の特色、染めや刺繍などの技法があり総称として「ポジャギ」と呼ばれることが多いようです。
一般的にポジャギとは「韓国のパッチワーク」と表現されることが多いですが実際には多くの技法や地域の特色、染めや刺繍などの技法があり総称として「ポジャギ」と呼ばれることが多いようです。  また、歴史的に庶民と宮廷で使われていたポジャギには当然素材に大きな違いがあり、庶民の木綿、麻のポジャギは民褓(ミンポ)、宮廷では色彩豊かで華のある絹のポジャギ(宮褓)があります。しかし、庶民が使っていた木綿などが安物で宮廷のものだけが素晴らしいのか?というと決してそんなことはありません。韓服のはぎれを繋ぎパッチワークの技法で作られたポジャギ(チョガッポ)の芸術性の高さには素晴らしいものがあります。
また、歴史的に庶民と宮廷で使われていたポジャギには当然素材に大きな違いがあり、庶民の木綿、麻のポジャギは民褓(ミンポ)、宮廷では色彩豊かで華のある絹のポジャギ(宮褓)があります。しかし、庶民が使っていた木綿などが安物で宮廷のものだけが素晴らしいのか?というと決してそんなことはありません。韓服のはぎれを繋ぎパッチワークの技法で作られたポジャギ(チョガッポ)の芸術性の高さには素晴らしいものがあります。 日本では高度成長期を境に次第に風呂敷が使われなくなりましたが、海外では布のアートとして高く評価される機会が増えてきました。それを受けて国内でも、テキスタイルのアーティストたちが風呂敷の芸術性を再度見直し新しい感性を吹き込んだ作品として受け継がれようとしています。同じように韓国でも近代化が急速に進み始めた頃、ポジャギの伝統が失われそうになった時期がありました。
日本では高度成長期を境に次第に風呂敷が使われなくなりましたが、海外では布のアートとして高く評価される機会が増えてきました。それを受けて国内でも、テキスタイルのアーティストたちが風呂敷の芸術性を再度見直し新しい感性を吹き込んだ作品として受け継がれようとしています。同じように韓国でも近代化が急速に進み始めた頃、ポジャギの伝統が失われそうになった時期がありました。