ポジャギイメージ

紬(ジュ)

明紬(ミョンジュ)
生明紬(センミョンジュ)
ムンジュ(文紬)
センジュ(生紬)
ユムンジュ(有文紬)
老紡(ノバン)

紗(サ)

素紗 (ソサ)
玉紗(オクサ)
熟庫紗(スッコサ)
生庫紗(センコサ)
官紗(クワンコサ)
菊紗(ククサ)
真珠紗(チンジュサ)
甲紗(カプサ)
雲紋紗(ウンムンサ)
紋紗(ムンサ)
金紗(クムサ)

羅(ラ、ナ)

亢羅(ハンナ)
紋亢羅(ムンハンナ)
乙羅(ウルラ)

緞(タン)

紋緞(ムンダン)
雲紋緞(ウンムンダン)
桃榴緞(トリュウダン)
洋緞(ヤンダン)
模本緞(モボンダン)
花紋緞(ファムンダン)
二色紋緞(イセンムンダン)
重織紋緞(チョンジンムンダン)
セットン紋緞

ペンモシ(白苧麻)
センモシ(生苧麻)
サムベ(大麻)


代表的な生地の説明は 布の種類のページをご覧ください。

ポジャギ豆知識

繍褓と文様

婚礼用として使用された繍褓の模様には、木、花の模様が一番多く、これに鶴、孔雀などを加えて瑞鳥と蝶、草の虫、各種の鳥が施紋されています。繍褓の模様の中で一番良く使われているのは木で、木は韓国において特別に神聖視された自然物の一つであり、吉事に使われるポジャギに神聖視された木が代表的に刺繍されたのは自然ななりゆきだと言えます。

花は福、実は多産、とくに多くの男の子を産むのを象徴する模様で、全体的に見て繍褓の模様は、福楽祈願の意味を含んでいるのが分かります。他にも「寿」「福」などの文字なども縫い込まれており、ポジャギの中心部やへりに他の模様と合うように施されています。

これまでに発見された古い繍褓の多くは、江陵(カンルン)を中心とした関東地方から出たもので、現在では、この繍褓を関東地方の土着的な自生文化の産物だと見られています。
現存する繍褓で最も古い物は高麗末期に作られたと見られる全州市立博物館所蔵の繍褓。

全州市立博物館
全羅北道 全州市完山区 豊南洞にある市立博物館。1963年地方名士の所蔵品を寄贈・寄託受けて開館

チョガッポについて

そして現在もっともポピュラーで人気があるチョガッポ。
ポジャギ文化がもっとも発展した朝鮮時代。伝統的な儒教社会で男性たちの陰になった女性たちは自分の部屋(閨房:キュバン)で創造的な才能を発揮し、このような美学的感覚が引き立つ文化遺産を作り出しました。その美しさは単なる視覚的なものだけではなく、女性たちの勤倹節約精神にもあります。服を作る時もハギレ一つも捨てないで、つつましく集めておいた布地を一つ一つ繋いで完成させたのが今日のチョガッポの原型になったと言えます。

実用品であったが故に、多くの人の手を経て長い時間をかけてたくさんのチョガッポが作られてきました。
その過程で優れたデザインが生まれ、工夫から新しい技法が生み出されたのは、とても自然なことです。現在では、本来の実用品という用途は失いつつも、より洗練され、鑑賞に堪えうる工芸品として現代に伝えられてきました。

しかし、ポジャギの発展の裏には単なる節約精神だけではなく、一種の祈福信仰的な要因や鑑賞の目的もあったと考えられます。
使用された形跡が無い古いポジャギが多く残されており、 これはポジャギが実用だけで作られたのではないと言う間接的な証明と言えます。
ポジャギはかつて「袱子器」と表記されていた時代がありました。この「袱」と「福」は同じ音であることから、「袱子器」を作ることが福を招くことと考えられました。その後「褓子器」と表記されるようになった後も、心を込めてポジャギを作ることを、一つの誠をささげる行為としてとらえ、心を込めたものは福招きの媒体になると信じる土着信仰が生まれました。つまり「ポジャギの褓という字は福を意味し…」というのはここから語り継がれている物語です。
刺繍を施したり、小布を一つ一つ繋いで付けたりしたことや、ポジャギを心を込めて作るのは、福を祈る気持ちと誠の表現のひとつであったわけです。こうして作ったポジャギに物を包んでおくこともその延長であり、特に各種の結納を包んだ婚礼用などの吉事の時にだけ用いられた繍褓は、このような意味の代表的な例です。


繍褓に施された吉祥文様
(韓国刺繍博物館:「こんなにきれいなポジャギ」より抜粋)

現代のポジャギ

チョガッポが織りなす面と色の構成が成す美しさ、調和は現代の抽象絵画や工芸で見られる洗練された作品と比べても遜色がないほどで、抽象画家のモンドリアンやクレ−の作品に比べられるほど高い評価を受けています。韓国刺繍博物館の館長:ホドンホァ先生は「つまらない下位文化に過ぎなかったポジャギが、今や全世界から普通名詞で使われるほどに私たちの文化の優秀性を知らせる大事な文化遺産に位置づけした」とおっしゃっておられます。
この韓国刺繍博物館はソウル江南区論硯洞にあり、今では滅多に目にすることの出来ない19世紀頃のポジャギを中心に、中には16世紀頃の作品と思われるものも見ることが出来ます。

何種類もあるポジャギの中で、チョガッポの一番の特徴は作り方(パターン)が自由というところにあります。上にも書いたように、そもそも貴重な布の再利用と言うところから発達してきたチョガッポですから規則的なものがなくても当然ですね。とは言え幾つかのパタ−ンが見られる事も事実で、それには次のよう傾向が見られます。
1:小さな布を四角形に結合させた市松模様や、二等編三角形の布を二つあるいは四つ組み合わせたパターンで、布の色や向きによって斜線をなすように配置したもの。
また風車の羽が回っているように一方向に回転して見えるよう配列したもの。
2:中央部の四角形を中心に同心円が広がるように細長い布を組み合わせ、四角形が拡大していくように構成されたものや、中央の四角形から「井」の字をなすように構成されたものがあります。これらのパターンは配色によって様々な視覚的変化を与え虹が広がって見えることからムジゲ(韓国語で虹の意)褓と呼ばれています。
しかし構成の自由度が高いチョガッポは、布が右のような決まったパタ−ンを形成せずに、むしろ自由に縫い合わされた作品のほうが圧倒的に多いと思います。それぞれに異なる大きさと模様、そしてたくさんの色彩のハギレが自由に組み合わされ規則性を排除しながらも、一つの作品としてまとまりを持つ。規則性という与えられた美よりも遙かに高く洗練された、作り手の自由な感性に沿って作り出された秩序。それがチョガッポの一番の魅力とも言えます。


韓国刺繍博物館
(撮影許可を頂いて撮ったもの)


代表的なパターンの一例

文化財に見るポジャギ

最後に、ポジャギの歴史はいつから始まったものなのかはっきりとした記録はありません。生活の中で自然発生的に発達した文化ですから、始まりとしての記録や歴史的資料が無いのはある意味仕方ないことです。
ちなみにもっとも古いポジャギとされている仙巌(ソンアン)寺の卓褓は、高麗(935-1392)中期のものと推定され、これが卓衣という名称で伝えられています。このことからも、かつて「褓子衣」と呼ばれていたポジャギに衣服としての意味があったことが分かります。
(卓衣=法衣。日本では衣(ころも)の上に左肩から右腋下へかける長方形の布。別名、袈裟)

仙巌(ソンアン)寺
全羅南道 順天市 昇州邑 竹鶴里
新羅時代の景文王元年(861年)に道默国師がここに大伽藍を創建して仙厳寺 と名付け、湖南の三庵寺のうちの首刹として禅道を大きく広めた。地方文化財11点を含め11点の文化財が保存されている。

そしてもう一つ、江原道月精(ウォルチョン)寺八角九層石塔の内部から発見され重要民俗資料に指定されている明紬のポジャギ。こちらは発見された石塔の特徴ある形状から高麗時代初期の建立とされているため、もし同時期に中に納められたとすればこちらのポジャギはさらに古いと言うことになります。実際にどちらが古いかは学術的な話になりますのでここでは触れません。

月精寺(ウォルチョン)寺
江原道平昌郡珍富面東山里
慈蔵律師がによって645年に創建。 月精寺八角九層石塔は高麗時代初期の建立と見られ国宝第48号に指定。

現存するポジャギで最も古いものでも高麗初期の西暦1000年前後のものですが、この頃のポジャギにはすでに高い芸術性を見ることができます。その事からも、作られ始めたのは時代を遙かに遡り、一説では三国時代(朝鮮半島の三国時代は4〜7世紀頃、高句麗・新羅・百済の3国が分立していた時代)以前とも考えられています。
また地域的な特徴では、繍褓は関東地方で、ピダン(緋緞:光沢のある絹の総称)のチョガッポは湖南地方で、モシのチョガッポは江華地方で発達してきました。

 


仙巌寺所蔵の卓褓

(重要文化財指定)


石塔の内部から発見された
明紬のポジャギ

(重要民俗資料第217号)

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以上、「韓国文化財庁」「大邱繊維産業」「ソウル六百年歴史」「韓国文化の家KOUS」「ポジャギ文化」「テウォン社刊:伝統服地」「韓国刺繍博物館ホドンホァ:こんなにきれいなポジャギ」他、手許にある書籍から引用・参考にさせて頂きました。万一、間違いやさらに詳しい内容をご存じの方がいらっしゃいましたら「お問い合わせ」よりご連絡いただければ幸いです。
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